オザワフェスティバルオーケストラ公演  マーラー 交響曲第2番「復活」

オザワフェスティバルオーケストラ公演 2016年8月21日(日)
マーラー 交響曲第2番「復活」
指揮:ファビオ・ルイージ
オーケストラ:サイトウキネンオーケストラ
ソプラノ:三宅理恵
アルト:藤村実穂子
合唱:OMF合唱団、東京オペラシンガーズ

 本年度のオザワフェスティバル、サイトウキネンオケによるオペラ公演は無くなってしまったというのが少々残念なところ。小澤征爾氏自身の体調面の不安も抱え、今年は本当に振れるのか?というところも気になったところですが、その中で唯一気炎を吐いているのがフアビオ・ルイージとサイトウキネンオケのコンビ。昨年のマーラーの5番は、超絶技巧のオーケストラと熱意あふれる指揮者が化学反応おこした結果、両者の能力の限界ギリギリのところでの演奏を聴かせてくれたのが記憶に新しいところ。その流れで、今年のマーラーの「復活」もおのずから期待が高まるところでした。今年、取れた席は2階席の最後方。意外にもよく聴こえる席。昨年聴いた席は1階の後方で、奥まった弦パートがあまり聴こえない印象だったのですが、ここは見事に各パートの音がクリアに聴こえる席。良い席が当たりました。演奏は、ファビオは今年も攻めの音楽づくりかと思ったら今年はちょっと違ってて面白かった。音楽が一気に燃え上がるところは昨年と同じだけれど、今年は弦がよく歌うのと同時に、弱音の美しさが際立っていた。勿論、弦のユニゾンなどのffも強力だけど(1楽章の展開部、Es durの動機が何と力強く鳴ることか!)。管楽器のソロは美しく、金管も強烈に鳴る。なんとも贅沢な表現がてんこ盛りの1楽章。2楽章はレントラー風リズムを強調して上品な舞曲仕上げ。ここでも弦がよく歌い、ルバートやポルタメントを上品い使いながら極上の美しさ。2楽章と3楽章の間にソリストと合唱が入場で少々間が空く(ちなみに1、2楽章で5分以上空けるというマーラーの指示は今回短めに済ませていた)。体調不良のクリスティーン・コーギーに代わって歌ったアルトの藤村実穂子が素晴らしいかった。オケが鳴っていようが合唱が歌っていようが彼女の声はとてもよく響く。とても不思議。合唱も人数が多かったせいもあるが力強く終楽章の盛り上げに貢献していた。終楽章の大団円で、ファイビオはこれ見よがしな盛り上げをせず、ごく自然に音楽に身を任せていたのが良かった様に思う。最後の終止和音が鳴った後、ファビオ・ルイージの音楽でもなく、サイトウキネンの音楽でもなく、マーラーの音楽を聴いたという印象をもたせてくれたという意味で。マーラーの復活は長い交響曲だなと思った、それは演奏の中身がが濃く充実したものだったために、聴衆も密度の高い時間を過ごしたせいだろうと思う。一線で活躍しているオペラ指揮者らしく、舞台作品として完璧なパフォーマンスという印象があった(バンダが舞台上のオーケストラとあんなに一体化した演奏というのは聴いたことが無い!)。こんなに良い演奏は滅多に聴けないだろうなと思った。音楽の深さに触れることができた演奏家だった。聴きに行って良かった。

PMFオーケストラ東京公演 ワレリー・ゲルギエフ指揮、PMFオーケストラ

PMFオーケストラ東京公演
2016.8.9(火)サントリーホール
ワレリー・ゲルギエフ指揮、PMFオーケストラ
VL:レオニダス・カヴァコス

聴いてきました。今回は指揮者を見たかったのでP席で。

 一曲目はメンデルスゾーン交響曲第4番「イタリア」。小ぶりな編成。爽やかで初々しい音がするオケ。弦は少々、芯のない軽い音に聴こえたけど、若々しさに溢れていてとても魅力的。いいよな若いって、と思いながら聴いたけれど、指揮者はこの軽やかな曲でも、常に唸り歌う様な声を発しておりました。ゲルギエフはほぼ手をヒラヒラさせている様な指揮ぶりで、主に音楽的なことに集中している印象。ビートなんかは刻まなくてもキチンと演奏できる優秀なオケって事ですね。3楽章ではキチンと三拍子の図形を描いているところがあって逆にちょっとびっくりしたけれど。

二曲目はブラームスのヴァイオリン協奏曲。カヴァコスはヨーロッパのオケとの共演の映像では見た事があったけど生で見るのは初めて。映像で見たロン毛髭面でラフなシャツを着ている怪しいオヤジという印象は、生で見ると知的で完璧な演奏をするクールなヴァイオリニストというイメージに変わってしまうから、あら不思議。この日の演奏も完璧で美しい演奏を聴かせていた(私のところからは、ホールに跳ね返ってきた音しか聴こえなかったのですが・・)。アンコールで弾いたバッハの無伴奏ソナタの緩徐楽章も美しかった。演奏後の長い沈黙の時に、あぁそうだ、今日はショスタコーヴィチの命日だったという事を思い出しました。

休憩後、ショスタコーヴィチの交響曲第8番。編成が拡大されて気がつくと、私の席はホルンのベルが直撃の模様。ホルンが強奏するとほぼ弦が吹っ飛ぶ凄い席だった。ショスタコになると、もう完全にゲルギエフワールドで、前半に聴こえたPMFっぽさはほぼ消え去り、彼が描くドラマティッックな音の世界に引きづりこまれてしまう。「見てごらんなさい。この暗い穴の中を。あなたは何が見えますか、絶望ですか?地獄ですか?幸福ですか?天国ですか?」と常に聴衆に問うてくる様な演奏とでも言ったら良いのだろうか。もう彼のつくり出す音楽は常人の域を完全に超えており、ただただ凄いとしか言いようがない。こんな音楽をつくったショスタコーヴィチも凄すぎるのだが。最後のハ長調の和音が極めて美しく響いていた(そしてそれが何故か意味ありげに聴こえる)。本当に長い沈黙のあと大きな拍手とブラボーの嵐。聴きに行ってよかった。だけど彼の描くショスタコーヴィチの音楽はなんだか恐ろしい。終演は10時というヨーロッパ時間的なコンサートのせいで帰宅は終電になってしまった。

サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団 指揮:ユーリ・テミルカーノフ

サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団
指揮:ユーリ・テミルカーノフ
2016年6月5日:文京シビック大ホール

 「シラザード」と「悲愴」という超名曲プログラム。前から2列目のA席。舞台にかぶりついての鑑賞でした。テミルカーノフの指揮は必要最小限の指示でスケールの大きなサウンドを引き出す少々マジカルな指揮術に見える。オケは弦楽器がとても美しくたっっぷり歌い良く鳴る。木管管楽器はバランスが良く響きも美しく透明。金管は音程が正確でかつパワフル。というと非の打ち所のない演奏に聞こえるが、ちょとそうでもなかったのがこの日の演奏。「シラザード」の出だしからいきなり弦とホルンがずれていて思わず指揮者もホルンの方を振り返るぐらい。2列目席で2ndヴァイオリンの真ん前だったので、2ndの前と後ろの音のズレがわかりすぎるくらい判る。コンサートマスターや2ndのトップは指揮者に迅速に反応するのに2ndの後ろの方はどこ吹く風だったり、テンポ変わり目で管楽器はきっちり食いついていくのに弦はもっさりだったりと、少々落ち着つかない。それでもステージに入ってきた時は緊張の面持ちだった楽員さんも「シェラザード」が終わった後はにこやかに去っていたのでした。ま、いろいろ有ったけど壮大で美しい音の絵巻物のような音楽ではありました。

「悲愴」は指揮のテミルカーノフは、打点が実際の発音より結構早めに入ってしまうことが多く、そしてその棒についてくる人に合わせてどんどん先に行くとても冷たい人(振りかたは優しげなのに・・)。水先案内人は既に先に行ってしまい落ちこぼれた人と優等生が混在する中でオケメンバーは終始探り合いが続くようなな状態。そしてテミルさん、テンポチェンジの度に、なぜかテンポが変わってから更に早くしようとする(予想したテンポより遅かったのか??)。もう指揮者レベルでアンサンブルに乱れが出ている感じがする。そんな感じで終楽章まで行ってしまい、正直終わっる頃にはこっちも疲れ切っていました。楽員達も困惑の表情で、ステージ内に微妙な空気が流れている気もする。その日、アンコールで用意されていたと思われる譜面も使われることなく早々とオケを解散したのは少々残念でした。この演奏にスタンディングオベーションは無いでしょう?と思ったけど指揮者はにこやかに最後まで拍手を受けておりました。「悲愴」って結構難しい曲ですね。でも、あのスケールの大きなサウンドはテミルさんが振らないと出ないんだろうと思います。酸いも甘いも噛み分けてきたであろう温厚な紳士の音楽は、やはりなんだか魅力的に感じます。次回来日してもまた行くと思います。

ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団 所沢公演

 ゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団を聴いてきました。場所は所沢の航空公園にある所沢市民文化センター、ミューズ アークホールです。このコンビの公演は非常に人気があるのか、本日のチケットも完売だったとの事。

  プログラムの1曲目のロメオとジュリエットは、組曲からの抜粋で3曲のみ。とりあえず肩慣らしみたいな演奏。と言っても、何か力の抜けたゆるい演奏と言う意味ではなく、このコンビの素の演奏という印象。でも、このオーケストラの音の美しさと、ダイナミックなサウンドはきわめて魅力的で、特に管楽器の音の美しさと豊かな音量、金管、打楽器のパワフルさは凄いなと思いながら聴いた。

  2曲目のチャイコフスキーのピアノ協奏曲は、若いロシアのピアニストのトリフォノフ。出てくるなり、お辞儀の仕方がなんだかとっても礼儀正しく丁寧で、好青年の印象。しかし、一旦演奏し始めると、自分の名人芸を披露したいという気持ちが強いのか、とにかく走りたがる。時には、微妙に破壌しそうにもなったりするけど、意外にも聴いていて不安定な感じはせず、妙な安心感が有るのはやはり元々持っている技量の高さ故なのだろう。この若さを、指揮者とオケが彼の意を汲みながらも時として手綱を握ってコントロールしている感じが見えて隠れして面白い演奏だった。ソリストとオケの綱引きを見る(聴く)のは、コンチェルトの楽しみ方の一つなのだと合点。彼は2011年のチャイコフスキーコンクールのウイナーとの事。

  3曲目は「悲愴」。ゲルギエフはここはガツンと来てほしいとか、ここのテンポチェンジは思いきってとか、聴いている最中に耳が次を予測する通りに(と言うか実際には2割増ぐらいに)演奏してくれるので、常に生理的快感を得る事ができて、気持ち良い事この上無い(オケのダイナミクスレンジの広さと、技術的な安定感がこの気持ちよさを裏で支えているのは勿論の事ですが)。指揮で面白かったのは、ゲルギエフは時折、粗雑な棒を振っている感じがして、それが楽器間のテンポの追随性を乱したり、アンサンブルの不統一を引き起こしたりするのだが、これは演奏者に打ちやすいストライクゾーンだけにボールを投げるのではなく、ボール球を投げたり時に暴投をしたりして、打ち返されるボールを見ながらゲームを支配しようとしている知能派投手のように、音楽に意図的に動ききを与えるための一つの方便なのかもしれないと思いながら聴いた。 

 実際、彼らの演奏はアンサンブルが乱れがちな箇所も有ったり、お世辞にも精細なアンサンブルとは演奏だったりするのだが、妙に動的で活力が有り、生命力に満ちた演奏に感じられたのは、こういうゲルギエフの巧みな指揮術に秘密が有るのかもしれない。特に、悲愴で素晴らしかったのは、終楽章で、冒頭から弦楽器の音が極めて美しく、表現力に満ち、指揮者も集中力が高い指揮をしているのがわかり本当に素晴らしい演奏だと感じた。このオーケストラの弦楽器はエクスプレシーヴォの表現の幅が極めて広く、指揮者の要求次第で様々な音が出せるのではないかと思わせるような所が有るのだが、その技量の高さがこの楽章で存分に発揮されていたように思う。今日の彼らの演奏は、きっちり練習をして、その練習の成果を人に聴かせる、と言うようなたぐいの正攻法的な演奏ではなく、今、現場で鳴っている音を生の状態で聴かせる、生きた状態で聴かせる事に事に専心している演奏、というように聴こえるのだ。

 何れにしても、濃密で表情豊か、ダイナミックで、生きた音楽を聴く事ができたこのコンサートに足を運んだ人は、誰もが満足して帰路についただろう事は確かな事だろう。このコンビがまた来日したら、是非、再度聴きに行きたいと思った。

  しかし、今回の彼らの日本ツアーのスケジュールを見ると殆ど休みなくコンサートを行っており、この所沢のコンサートが終わった次の日もロシアでコンサートの予定が入ってるなど、異常なまでのハードスケジュール。指揮者もオーケストラも相当疲れが溜まってきているのではないかと想像するが、そうした中でも終演後に、疲れた様子も見せずファンにこやかにサインするゲルギエフ氏の、プルフェッショナルな態度は本当に素晴らしい。

 マリインスキー劇場管弦楽団 指揮 ワレリー・ゲルギエフ
ピアノ ダニール・トリフォノフ
所沢市民文化センター ミューズ アークホール
2014年10月18日(土)

1.プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」より抜粋
仮面、少女ジュリエット、モンタギュー家とキャピレット家
2.チャイコフスキー:ピアン協奏曲第1番変ロ長調 op.23
3.チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 op.74「悲愴」

Works of Igor Stravinsky Box set (ストラヴィンスキーによる自作自演集) 試聴記

 普段、創作に関わっている者としては、個々の作品に興味を持って研究する事は有っても、特定の作曲家の生涯にわたる作品を概観することはないので、そういう意味では、この22枚のCDを聴く事は貴重な体験でもあった。彼の作品を概観してみて最初に思うのは、「春の祭典」という作品が、彼の作品の中でとても特殊な作品であると言う事。この作品が舞台の為の音楽である事と、ディアギレフという極めて個性的な芸術家との共同作業の結果として生まれた作品だという事は、この作品が作曲者のみの個性の具体化と考えてしまうのは少々問題が有るかもしれない。

 この全集を聴いて思うのは、むしろ、彼の純正な個性が発揮されているのは、3大バレエ以降の新古典主義以降の作品ではないかという気がするのである。それは、とくに新古典主義以降の作品に見られる、素材と作品の関連性に大きな特徴があると思うだが、ストラヴィンスキーの場合、音楽素材自体に構成原理を求めずに、素材自体の関係性による異化作用に音楽の原動力を求めている事に、大きな特徴が有る。そういう意味では、彼にとっては、ロシア民謡も、印象派も、バロックも、ルネッサンスも、ジャズも、単なる彼の音楽を構成する音響的なパーツにしか過ぎなく、複合的な作用とその結果自体が彼の音楽なのだと言って良いだろう。

 ストラビンスキーの作品にしばしば見られる様式的な混交は、伝統的な価値基準によれば、否定的に見られるのは当然であるし、実際そういった作品は評価が低いのではないかとも思う。しかし、そういった音楽的処理やその効果は、後の時代のコラージュによる音楽や、昨今の電子音響音楽における素材の連関にも関わる重要なテーゼの一つでもあるし、未来のために過去をどのように活用するかという点にける一つのモデルを提示しているとも言えるかもしれない。そういう意味では、現代に繋がる重要な意味性が、彼の作品には有ると言えるだろう。

 彼の作品の様式的な変遷や多様性は、内的な要因と共に、外的な要因、二つの世界大戦、ロシア革命、それらによるロシア、スイス、アメリカと転々と居住地を変えなければならず、土地を奪われ、大戦で著作権種収入もおぼつかない中、常に演奏される作品をつくらなければ生きていけなかったという厳しい環境が生み出したともいえる。それは、彼の作品を理解する上での隠れたファクターとして意外に重要なのではないかと思う。しかし、凄いのは彼の作品からはそんな事はみじんも感じさせないという事だ。

 ストラヴィンスキーの音楽を語る際に見過ごしてはいけないのは、彼の父親がマリインスキー劇場のオペラ歌手であったことから、オペラや声楽曲には非常に造詣が深かった事である。しかし、現代的な視・聴覚表現である映画に関しては、ストラヴィンスキーがハリウッドに住んでおり映画音楽への誘いが多かったにも関わらずそれが1つも実現しなかったのは興味深い事実である(実際、映画で使用される事を想定して作曲された作品も多い)。ストラヴィンスキーが、作曲を断った映画で有名なものは「天地創造」である(彼がこの作品を蹴ったせいで日本の若き作曲家、黛敏郎がこの大作のクレジットに名を残す事となった)。”The Flood”1962年)も創世記の話なので流れとしては1966年の天地創造(映画)に上手く繋がる気がするが、彼がこの仕事を断ってしまったのは、映画というメディアを伝統的な舞台芸術と同列に、意味有るものと考える事が出来なかったという事なのかもしれない。

 彼の最後のオリジナル作品が、妻へ贈った小品だというのは、著者が書籍の後書に家族への感謝の言葉を述べているような不思議な気分にさせられるのですが、これは偶然が引き起こした美しいエピローグなのだろう。

 [補遺]
–Disk20
カンタータ星の王: Le Roi des étoilesはドビュッシーに一番接近した作品。春の祭典と同時期の作品と考えると興味深い。印象派風なatmosphere、複合的な和音の堆積、ふと春祭を思わせる響きなど、なかなか一筋縄でいかない短い作品。

–Disc 21
晩年の無調の宗教作品群はなかなか興味深い。12音技法を自分の過去の技法と統合しつつ慎重に取り入れていったこの時期の作品はもっと評価されてしかるべきと思う。

[ストラヴィンスキー語録]
「騒音が音楽となりうるのは、いうまでもない。しかし、騒音は表意的になってはいけない。音楽それ自体は、何ものも意味しないのだから」ストラヴィンスキー ”118の質問に答えるより – 電子音楽について

 「成功に酔っている凡俗性を罰する煉獄があったらどれでもかまわない、シュトラウスのオペラなんか、みんな、それにくれちまいたいくらいだ」ストラヴィンスキー ”118の質問に答えるより

変奏曲レクイエム・カンティクルズが私の創作の全体像を変えたという事であり、私が現在欲しているのは、その完全な全体像を今一度変えるための力なのである。」ストラヴィンスキー
大作曲家「ストラビンスキー」ヴォルフガング・デームリング(長木誠司 訳)

Works of Igor Stravinsky Box set, Import

 

ラヴェル:オペラ「こどもと魔法」「スペインの時」〜サイトウキネンフェスティバル松本

ラヴェルのオペラ「こどもと魔法」と「スペインの時」を松本で見てきました。サイトウキネンフェスティバルのオペラ公演は以前から見に行きたいと思っていたのですが、家から松本は少々遠いので(まぁ、高速で2時間位では有るのですが・・)、二の足を踏んでいましたが、今年は小沢征爾の復帰公演ということもあり、今年は日帰りオペラ鑑賞を決行しました。
しかし、いざ行こうと思ったら肝心のチケットは取れず、仕方なく諦めかかけていたらなんと直前に、機器関連の設備状況で為、空席が出たらしくネットで販売している事が判明。無事に鑑賞に出かける事が出来ました。

 実は、2004年にパリ旅行に行った時に、オペラ座(ガルニエ)で、小沢征爾が「スペインの時」と「ジャンニスキッキ」を振っていたのですが、公演日程が旅行日程と合わなくって見に行く事が出来なかったと言う残念な事がありました。今回は、そのリベンジの意味も有ったのですがね。
 実は恥ずかしい事に、このラベルの2つの短いオペラについては、若い頃
レコードを買って聴いた事は有ったものの、内容に関しては殆ど記憶になく、音楽の記憶も全くないと言う、まぁある意味新鮮な気持ちで見る事が出来ました。
 公演の最初が小沢征爾指揮の「子供と魔法」。今回、指揮台に現れたオザワはいつもと変わらない元気な姿で、指揮ぶりも全く不安げが無い立派なもの。
オケも指揮も素晴らしいけど、時に印象に残ったのは舞台装置の素晴らしさ。
ロラン・ペリー(演出)とバーバラ・デリンバーグ(舞台装置)の共同作業によるファンタジックでデフォルメされたオブジェ(といっても家のテーブルとか椅子とか)や猫や木などの動植物がすばらしく、そしてとても印象的でした。それらが歌い、動き、踊ったりする訳で見ているだけで楽しいし、その上ラベルの華麗で上品なオーケストラが耳を楽しませてくれる訳で、この上ない素敵な時間を楽しませてくれました。歌手も一流だし、合唱も上手い。このクオリティを国内のオペラ(実際はグライドボーンとの共同制作ではありますが)で鑑賞できるのは本当に有り難い事。値段も外来のオペラよりは安いと思いますしね。
 面白かったのはカーテンコールで、舞台上で歌手達が挨拶しているその下で、ピオザワがピットの端から端まで演奏者一人一人に丁寧に握手を求めて、歩き回っているのが印象的でした。多分、お客さんはみんなオケピットを見ていたに違いないと思います(笑)。あんなに丁寧に握手していたら、カーテンコールが終わっちゃうんじゃないかと思っていたら、歌手達の挨拶が終わる頃にはちゃんとオケ全員との握手を終わり、絶妙のタイミングで舞台上に現れまして観客の歓声を浴びておりました。この人プロだなぁと変な所で妙に感心してしまいましたが・・。舞台上でも、背後に沢山並んでいた木の大きなかぶり物をかぶっていた合唱団員を、最後に最前列に呼んでお辞儀させるなど(この光景は、結構壮絶な絵で最高に傑作でした!)笑いを誘う一幕も。
 公演が有ったまつもと市民芸術は比較的長さが短いシューボック型ホールなので、後ろの席でも不満無くオペラを楽しめ、音響にも不満は無かったです。ちょっと残念なのは、来ていたお客さんの年齢層がとても高いという事。まぁ、オペラは高い見せ物だし、松本は首都圏からも遠いので、コアなお客さんや、お金と時間がある年配層が中心になってしまうのは仕方がないにしても、こういう素晴らしいオペラ公演は、未来を担う若い音楽家の卵達に是非見てもらいたいと思いました(3階席の後ろには、ポールがあって立ち見も可能そうに見えたけど、そういうのを活用して安い席を作るとか出来ないのですかね?)
・・・と言う事で後半のステファノ・ドゥネーブ指揮の「スペインの時」もとても良かったのですが、書き始めると長くなりそうなので、一応この辺でやめときましょう・・
ラヴェル:オペラ「こどもと魔法」「スペインの時」
〈グラインドボーン音楽祭との共同制作