全音スコア-ドビュッシー交響詩「海」(2002/12/10記)

先日、モーツァルトの交響曲38番のCDを聴こうと思い立ち、
書棚をスコアの探索したら、どうも我が家にはこの曲のスコアが
無いようである。
大作曲家の主要な作品のスコアは揃えたつもりになっていたが、
こんなに重要な曲のスコアを欠いているなんて・・
と思い、近所のCDショップにある楽譜コーナーに足を運んだ。
そこであろう事か、38番と39番を勘違いして買ってしまい、我が家には
モーツァルト交響曲第39番変ホ長調・・のスコアが2つになってしまった。
しかも2つとも全音のポケットスコアである。

この全音版、貧乏学生だった頃から愛用していたが、
その理由はこのスコアの値段が、他に比べて安いからというのと、
巻頭に詳細な楽曲分析が載っているために、
作品の勉強用としては大変利用価値が高いからだった。

ただし、この全音のスコア、間違いがあまりにも多い。

早速、このモーツァルトの39番の交響曲にも、第2楽章の弦楽器に
リズムの間違いを発見した。
この間違いは、新しく買った方の楽譜で発見したので、
思い立って古いほうも確認してみると、そちらも同じく間違いであった。

20年の時を経ても間違いが直っていないこのスコア、信頼性は大変低いと思うが、
私には別の楽しみがあった。

レコードを聴きながら、或いは電車の中で目をを皿のようにして眺めながら、
このスコアの中に間違いを見つける。これが当時の私のにはちょっとした
ゲームじみた楽しみであった。

しかしこの全音スコアに思わぬ重要なスコアがあることがわかった。

それはドビュッシーの交響詩「海」なのであるが・・・

ドビュッシー〈海〉

ドビュッシー
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ドビュッシーの交響詩「海」は異なる版がいくつか在るらく、
調べてみると以下のようになるらしい。

1905年  「1台4手によるピアノ連弾版」
1905年  「オーケストラ初版」(Durand&Fils)
1909年  「オーケストラ第2版」(Durand&Fils)
1908~10年 「2台4手によるピアノ連弾版」
1938年 「オーケストラ第3版」(Durand&Cie)
1971年 自筆譜・1909年版・1938年版を
マックス・ポンマーが校訂したスコア(PETERS社)
音楽之友社から1992年に出版)
1983年 新しい校訂版(ドーバー社)
(PETERS社とは違った部分あり)
上記の全音のスコアは「オーケストラ第2版」を基にするものらしく、
現在、殆どの演奏者が使用しているデュラン社から出ている「オーケストラ第3版」
とは微妙に違う部分があるようである。

ブルックナーならいざ知らず、ドビュッシーに版の問題が在るとは知らず、
少々驚いたが(とともに不勉強を少々恥じたほうがよいかも知れない・・)、
このスコアを見ながらCDを聴くと微妙に異なる部分があって、興味深い.

この第2版は現在は入手困難であろうと思われるので、
現在も販売されているこの全音版のスコア、
以外にも非常に貴重な存在という事になる。

最近は我が家でも顧みられる事がなくなっていた全音のスコア、
新たな価値を見つけて少々うれしくもあった。
この曲の版の資料としては、下記の熊蔵氏のページに詳細なデータがあるので
ご興味のある方は、ご参照ください。

版による相違
海のXファイルへのエスキース12型
海のXファイルへのエスキース入り口

全音版スコアの新たな発見もあったのだが、
結局、モーツァルトの交響曲38番はアマゾンで購入する事になった。
都内のCDショップや楽譜店で買うよりアマゾンで買うほうがずいぶんと安い。
(楽譜に表示されているドル価格と殆ど同じ)

届くまで少々、時間がかかる事があるのが難点だけれど・・・
この楽譜も間違いが無いかチェックしてみようか・・・

Wolfgang Amadeus Mozart
Dover Pubns (1999/02)
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 「リップスティック」オリジナルサウンドトラック(1999/09/05記)

 「リップスティック」 オリジナルサウンドトラック

     Music and Arrangement:Ryo Yoshimata 他

 

 その演奏を聞くと必ずある心象風景というべき物が蘇って来る・・

そんなレコードが私にはある。それはボロディン弦楽四重奏団の演奏による

ドビュッシーの「弦楽四重奏曲」なのであるが、その演奏を聞くと、何故か

そのレコードを買った冬の夜の、凍てついた街をレコードを小脇に抱え家路

に急ぐ情景が、生々しく蘇って来るのである。例えば、冬の夜の街の空気感、

踏みしめる地面の感触、あるいは雪をはむ音など、それらが個別にではなく、

当時の体験がそのまま一塊に・・とでも言うように。

 音楽とは不思議なものである。人間の古い記憶(しかもそれは本人の意思の

関わらない無意識的な記憶)を見事に再現する契機を与える。音楽は人間の無意

識と強く関わっていることは確かである。

 回り道をしてしまった。その無意識と深く関わっている音楽領域は、映像の為

の音楽であろう。これらの音楽はドラマの内在的な展開を聴覚的な無意識に語り

かけることでその内容を膨らませる事を目的とする。あるいはある場面に特定の

共通な心理背景を与えたり、台詞、映像では語りきれない何者かを視聴者に付与

する、という重要な役割を持っている。そういった意味でこの分野での可能性は

極めて大きいのであるが、商業ベースの音楽は可能性を突き詰めるよりは、

ルーティーンに陥ることを潔しとする。

 さて「リップスティック」であるが、このCDはある種のこだわりを感じさせる

音作りと極めて上質の類型的な音楽によって、面白く聞ける。もしかしたら類型化

は、耳を働かせないための(無意識的に聞かせるための)効果的な方法論なのかも

しれない。だが映像を離れて音楽のみで聞いても長時間は耐えられないだろう。

それは重要なパートが抜かれた未完成な音楽のようでもある。もちろんそれは本来

の聴取の仕方では無いのであるが。
 

    1999/09/05記

「The Klemperer legacy」ベルリオーズ ”幻想交響曲”ほか(1999/08/31記)

「The Klemperer legacy」

フンパーディンク ”ヘンゼルとグレーテル”より

ベルリオーズ ”幻想交響曲”

cond:オットー・クレンペラー  oche:フィルハーモニア管弦楽団

久しぶりにクレンペラーの演奏を聞いた。一時期この指揮者の演奏は

よく聞いたのだが、最近、┼身が古典、ロマン派の音楽ゥ体を聞くことが

めっきり減ってしまったので、必然的に彼の演奏も聞くことが少なくなった。

彼の演奏の特質は、きわめて怜悧で感情に溺れず、作品の内容をあるがまま

に語らせるといったところにある。この演奏はきわめてクールな演奏と

捕らえられるかもしれないが、こういった演奏の姿勢は音楽を恣意的な

”解釈”から解き放ち、音楽作品そのものを理解させると言う重要な意味

をももつだろう。

彼の演奏で特に私が愛しているのはマーラーの「大地の歌」である。

この曲に関しては他の演奏の存在の必要性を感じさせないほど完全なもの

と言ってよいのではないかと常々思っている。

この”幻想”も彼特有の客観的な演奏様式にはちがいない。ここには

ミュンシュの激情もオザワの華麗さもなく、ドイツロマン派の作曲家の

ようにどっしりとしたたたたずまいが表面を覆っている。しかしその背後には

十二分に計Zされたスコアへの理解があるのは十分聞き取れだろう。

この時期のフィルハーモニア管の巧さもきわめて群を抜くもので聞いていて

気持ちが良い。