ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団 所沢公演

 ゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団を聴いてきました。場所は所沢の航空公園にある所沢市民文化センター、ミューズ アークホールです。このコンビの公演は非常に人気があるのか、本日のチケットも完売だったとの事。

  プログラムの1曲目のロメオとジュリエットは、組曲からの抜粋で3曲のみ。とりあえず肩慣らしみたいな演奏。と言っても、何か力の抜けたゆるい演奏と言う意味ではなく、このコンビの素の演奏という印象。でも、このオーケストラの音の美しさと、ダイナミックなサウンドはきわめて魅力的で、特に管楽器の音の美しさと豊かな音量、金管、打楽器のパワフルさは凄いなと思いながら聴いた。

  2曲目のチャイコフスキーのピアノ協奏曲は、若いロシアのピアニストのトリフォノフ。出てくるなり、お辞儀の仕方がなんだかとっても礼儀正しく丁寧で、好青年の印象。しかし、一旦演奏し始めると、自分の名人芸を披露したいという気持ちが強いのか、とにかく走りたがる。時には、微妙に破壌しそうにもなったりするけど、意外にも聴いていて不安定な感じはせず、妙な安心感が有るのはやはり元々持っている技量の高さ故なのだろう。この若さを、指揮者とオケが彼の意を汲みながらも時として手綱を握ってコントロールしている感じが見えて隠れして面白い演奏だった。ソリストとオケの綱引きを見る(聴く)のは、コンチェルトの楽しみ方の一つなのだと合点。彼は2011年のチャイコフスキーコンクールのウイナーとの事。

  3曲目は「悲愴」。ゲルギエフはここはガツンと来てほしいとか、ここのテンポチェンジは思いきってとか、聴いている最中に耳が次を予測する通りに(と言うか実際には2割増ぐらいに)演奏してくれるので、常に生理的快感を得る事ができて、気持ち良い事この上無い(オケのダイナミクスレンジの広さと、技術的な安定感がこの気持ちよさを裏で支えているのは勿論の事ですが)。指揮で面白かったのは、ゲルギエフは時折、粗雑な棒を振っている感じがして、それが楽器間のテンポの追随性を乱したり、アンサンブルの不統一を引き起こしたりするのだが、これは演奏者に打ちやすいストライクゾーンだけにボールを投げるのではなく、ボール球を投げたり時に暴投をしたりして、打ち返されるボールを見ながらゲームを支配しようとしている知能派投手のように、音楽に意図的に動ききを与えるための一つの方便なのかもしれないと思いながら聴いた。 

 実際、彼らの演奏はアンサンブルが乱れがちな箇所も有ったり、お世辞にも精細なアンサンブルとは演奏だったりするのだが、妙に動的で活力が有り、生命力に満ちた演奏に感じられたのは、こういうゲルギエフの巧みな指揮術に秘密が有るのかもしれない。特に、悲愴で素晴らしかったのは、終楽章で、冒頭から弦楽器の音が極めて美しく、表現力に満ち、指揮者も集中力が高い指揮をしているのがわかり本当に素晴らしい演奏だと感じた。このオーケストラの弦楽器はエクスプレシーヴォの表現の幅が極めて広く、指揮者の要求次第で様々な音が出せるのではないかと思わせるような所が有るのだが、その技量の高さがこの楽章で存分に発揮されていたように思う。今日の彼らの演奏は、きっちり練習をして、その練習の成果を人に聴かせる、と言うようなたぐいの正攻法的な演奏ではなく、今、現場で鳴っている音を生の状態で聴かせる、生きた状態で聴かせる事に事に専心している演奏、というように聴こえるのだ。

 何れにしても、濃密で表情豊か、ダイナミックで、生きた音楽を聴く事ができたこのコンサートに足を運んだ人は、誰もが満足して帰路についただろう事は確かな事だろう。このコンビがまた来日したら、是非、再度聴きに行きたいと思った。

  しかし、今回の彼らの日本ツアーのスケジュールを見ると殆ど休みなくコンサートを行っており、この所沢のコンサートが終わった次の日もロシアでコンサートの予定が入ってるなど、異常なまでのハードスケジュール。指揮者もオーケストラも相当疲れが溜まってきているのではないかと想像するが、そうした中でも終演後に、疲れた様子も見せずファンにこやかにサインするゲルギエフ氏の、プルフェッショナルな態度は本当に素晴らしい。

 マリインスキー劇場管弦楽団 指揮 ワレリー・ゲルギエフ
ピアノ ダニール・トリフォノフ
所沢市民文化センター ミューズ アークホール
2014年10月18日(土)

1.プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」より抜粋
仮面、少女ジュリエット、モンタギュー家とキャピレット家
2.チャイコフスキー:ピアン協奏曲第1番変ロ長調 op.23
3.チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 op.74「悲愴」

Works of Igor Stravinsky Box set (ストラヴィンスキーによる自作自演集) 試聴記

 普段、創作に関わっている者としては、個々の作品に興味を持って研究する事は有っても、特定の作曲家の生涯にわたる作品を概観することはないので、そういう意味では、この22枚のCDを聴く事は貴重な体験でもあった。彼の作品を概観してみて最初に思うのは、「春の祭典」という作品が、彼の作品の中でとても特殊な作品であると言う事。この作品が舞台の為の音楽である事と、ディアギレフという極めて個性的な芸術家との共同作業の結果として生まれた作品だという事は、この作品が作曲者のみの個性の具体化と考えてしまうのは少々問題が有るかもしれない。

 この全集を聴いて思うのは、むしろ、彼の純正な個性が発揮されているのは、3大バレエ以降の新古典主義以降の作品ではないかという気がするのである。それは、とくに新古典主義以降の作品に見られる、素材と作品の関連性に大きな特徴があると思うだが、ストラヴィンスキーの場合、音楽素材自体に構成原理を求めずに、素材自体の関係性による異化作用に音楽の原動力を求めている事に、大きな特徴が有る。そういう意味では、彼にとっては、ロシア民謡も、印象派も、バロックも、ルネッサンスも、ジャズも、単なる彼の音楽を構成する音響的なパーツにしか過ぎなく、複合的な作用とその結果自体が彼の音楽なのだと言って良いだろう。

 ストラビンスキーの作品にしばしば見られる様式的な混交は、伝統的な価値基準によれば、否定的に見られるのは当然であるし、実際そういった作品は評価が低いのではないかとも思う。しかし、そういった音楽的処理やその効果は、後の時代のコラージュによる音楽や、昨今の電子音響音楽における素材の連関にも関わる重要なテーゼの一つでもあるし、未来のために過去をどのように活用するかという点にける一つのモデルを提示しているとも言えるかもしれない。そういう意味では、現代に繋がる重要な意味性が、彼の作品には有ると言えるだろう。

 彼の作品の様式的な変遷や多様性は、内的な要因と共に、外的な要因、二つの世界大戦、ロシア革命、それらによるロシア、スイス、アメリカと転々と居住地を変えなければならず、土地を奪われ、大戦で著作権種収入もおぼつかない中、常に演奏される作品をつくらなければ生きていけなかったという厳しい環境が生み出したともいえる。それは、彼の作品を理解する上での隠れたファクターとして意外に重要なのではないかと思う。しかし、凄いのは彼の作品からはそんな事はみじんも感じさせないという事だ。

 ストラヴィンスキーの音楽を語る際に見過ごしてはいけないのは、彼の父親がマリインスキー劇場のオペラ歌手であったことから、オペラや声楽曲には非常に造詣が深かった事である。しかし、現代的な視・聴覚表現である映画に関しては、ストラヴィンスキーがハリウッドに住んでおり映画音楽への誘いが多かったにも関わらずそれが1つも実現しなかったのは興味深い事実である(実際、映画で使用される事を想定して作曲された作品も多い)。ストラヴィンスキーが、作曲を断った映画で有名なものは「天地創造」である(彼がこの作品を蹴ったせいで日本の若き作曲家、黛敏郎がこの大作のクレジットに名を残す事となった)。”The Flood”1962年)も創世記の話なので流れとしては1966年の天地創造(映画)に上手く繋がる気がするが、彼がこの仕事を断ってしまったのは、映画というメディアを伝統的な舞台芸術と同列に、意味有るものと考える事が出来なかったという事なのかもしれない。

 彼の最後のオリジナル作品が、妻へ贈った小品だというのは、著者が書籍の後書に家族への感謝の言葉を述べているような不思議な気分にさせられるのですが、これは偶然が引き起こした美しいエピローグなのだろう。

 [補遺]
–Disk20
カンタータ星の王: Le Roi des étoilesはドビュッシーに一番接近した作品。春の祭典と同時期の作品と考えると興味深い。印象派風なatmosphere、複合的な和音の堆積、ふと春祭を思わせる響きなど、なかなか一筋縄でいかない短い作品。

–Disc 21
晩年の無調の宗教作品群はなかなか興味深い。12音技法を自分の過去の技法と統合しつつ慎重に取り入れていったこの時期の作品はもっと評価されてしかるべきと思う。

[ストラヴィンスキー語録]
「騒音が音楽となりうるのは、いうまでもない。しかし、騒音は表意的になってはいけない。音楽それ自体は、何ものも意味しないのだから」ストラヴィンスキー ”118の質問に答えるより – 電子音楽について

 「成功に酔っている凡俗性を罰する煉獄があったらどれでもかまわない、シュトラウスのオペラなんか、みんな、それにくれちまいたいくらいだ」ストラヴィンスキー ”118の質問に答えるより

変奏曲レクイエム・カンティクルズが私の創作の全体像を変えたという事であり、私が現在欲しているのは、その完全な全体像を今一度変えるための力なのである。」ストラヴィンスキー
大作曲家「ストラビンスキー」ヴォルフガング・デームリング(長木誠司 訳)

Works of Igor Stravinsky Box set, Import